新東京散歩2012‐2

2012 年 1 月 11 日

神楽坂に会社の事務所を移して1年半余りが経過した。これまでに、横丁の食事処、蕎麦処やパスタ処を食事処として紹介してきたが、今回は私が気に入っている食事処を題名として紹介したい。

いい店の条件は、シンプルに食事に満足感があり、店の雰囲気がいいことであり、総合して幸せな気分になれることである。

まずは、「串亭」。神楽坂の大通りを飯田橋駅から登ってきた頂上付近の地下にある店。上の写真の横を通って地下への階段を下りていく。下りてすぐ左に入口があり、扉を開けて入ると、左奥に数人座れるテーブルの部屋、右に行くと12人ほど座れる横に長いL字型のカウンターがある。私は独りで行くことが多いが、会社仲間と行くこともあり、カウンターにしか座ったことがない。カウンター入口に若い女性がいつも笑顔で迎えてくれる。

目の前でシェフが魚や肉、あるいはアスパラガスなどに衣を付け、油で揚げて出している。メニューを下に示すように4種類あるが、一番左は「ひつまぶし」でここのオリジナルではなく、昨年11月に開店した姉妹店のメニューである。焼いたアナゴをご飯にまぶして食べ、最後にお茶づけで食べるのがなかなか乙な味でいい。

ここのオリジナルは、3種類。魚中心の串揚げ(日によって異なる)とアスパラガスの揚げ物を添えた品がメインの「究極の串揚げ御膳」、鶏のから揚げでカニのあんかけが自慢の「唐揚げ御膳」、そして柔らかなロースカツ中心の「ロースかつ御膳」である。付け合わせは共通で日によって異なり、何が出てくるかもひとつの楽しみである。それに味噌汁とご飯が付く。

魚は青森からの産地直送。豚肉も三浦半島の岬の養豚場と契約しているとのこと。この日は上の写真にあるように海老とアスパラガス(これは定番)に鰻と舞茸を揚げたものであった。揚げたてで実に香ばしく、付け合わせのポテトサラダ、漬物、牛蒡と人参の煮物が串揚げをサポートしている感があった。シェフは若くて感じがよく、またすっきり感の笑顔が素敵な女性がいつも明るく気遣ってくれ、会話にも花が咲く。

大体週に一度のペースで行っているが、昨年10月に昼食は止めるという宣言があり、文句を言ったところ、他の客も同じように抗議をしたのだろう、都内に数件のチェーン店を持つ社長が続けることに決断を下してくれて、続いている。そのせいか11月以降、かなり客数が増え、時々入れないことがある。客層は若者から年寄りまで、男女大体同じ比率であり、安定した人気を誇っていると言える。また、夜はお任せの串揚げメニューであり、10種類以上あるとのこと。一度行ってみたいと思っている。

 次いで、毘沙門天の横を左に入って少し行くと、写真の店構えの場所がある。ここの2階にカレーライスが美味い「Parador de KAGURA」がある。
二人の若い男性がやっている。カウンターとテーブル席に分かれていて、カウンターは夜バーとなり、カクテルなどが楽しめるらしい。

 カレーライスは、まずは本場イタリアのサラダを思わせる本格的な味がいい。そして、カレーライスは煮込んだカレーに加えて鶏肉をきちんとフライパンで焼いたものを混ぜ合わせ、実にコクのあるいい味を出している。そして、最後に美味いコーヒーが出てくるのが嬉しい。水も薄い透明グラスにミネラルウオーターを注いだものが実に清潔感があってこれまたいい。これで締めて650円という安さ。「最初の設定が安すぎました」と男性が言うが、「これから上げる予定はあるの?」と聞くと「いや上げるつもりはありません」ときっぱり。実に真面目であり、清潔感溢れる店の感じと相俟って満足度が高い。


 その建物の1階は写真の看板の店「シンガポール キッチン」。ここもカウンターとテーブル席だが、ややだだっ広い感じがする。シンガポール独特の味のするランチはいい味を出していて、時々行く。雰囲気も素人っぽい小柄の若い女性の気遣いが満足感を与えてくれる。

 蕎麦処として紹介した「ゆかり」もいい店だ。ここでは、「漬丼とセイロ」が最高。新鮮なマグロにショウガとワサビの利いた丼はいつ行っても同じ味で幸福感を味わえる。セイロは神楽坂では最も好きな味と歯ごたえだと思っている。店には常に琴の音が流れており、真新しいカウンターと椅子席が清潔感を漂わせている。女性も実に愛想がよくいい感じである。


 また、親子丼の店として、以前に紹介した「あべの」に加えて「鳥半」を紹介したい。「あべの」は秋田の地鶏を使った柔らかい鶏肉とふわっとした玉子焼きが実にマッチしていていい。
 付け合わせの豆腐もその味を引き立てている。店はカウンターとテーブル席だが、綺麗であり、シェフと女性の態度も好感が持てた。夜も一度お邪魔したことがあるが、鶏尽くしのメニューを肴に、いい酒に酔いしれた。

年頭にあたり

2012 年 1 月 2 日

年明けましておめでとうございます。皆様には本年がよいお年であることをお祈りし、変わらぬご厚誼をお願いいたします。

昨年は311日に発生した東北大震災の影響で、被災地はいまだに現状復旧がかなわず、長年住み慣れた土地を離れて新年を迎えなくてはならない方も大勢おられることと思います。一日でも早く復興を願うばかりですし、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。またギリシャに発したヨーロッパ経済危機、タイの洪水、歴史的円高どれをとっても企業にとっては厳しい環境でありました。

弊社は創業5年を経過し6年目に入ろうとしております。過去の5年間は基盤づくりの期間として捉え「フッ素製品の開発と製造販売」、そして「フッ素関連の情報収集、提供およびコンサルティング」という文武両道の基礎作りを行い、それぞれが黒字に推移できるような状況となりました。そしてこれからは企業飛躍の段階に入ろうと目標を掲げました。そのために、組織体制を変え厳しい環境に対応できる体制といたしました。また旧来のフッ素素材にとどまらず新しい素材を組み入れ、複雑化するニーズに対応できるように開発体制を備えました。そして今年は次の柱となる新製品の発売を計画しておりますし、また先端の技術情報収集はより精度を上げていきたいと考えております。

結びに、今年皆様のご発展とご健勝をお祈りいたします。

今年は昨年以上企業を取り巻く環境が厳しくなることも考えられます、皆様におかれましては今年のご発展とご健勝をお祈り申し上げます。

サッカー大好き!

2011 年 12 月 21 日

先日今年のサッカーを締めくくるに相応しいFIFAクラブワールドカップの決勝戦が行われ、メッシを擁するバルセロナが優勝を飾った。日本でこの素晴らしい試合を見られる事の有難さを実感いたしました。

私はスポーツ観戦が好きで特にサッカー、ラクビー、アイスホッケーの球技は私にとっての三大球技であり、実況中継があれば可能な限り観戦しようと待ち構えております。現在の日本ではサッカーは結構なブームとなりテレビ中継はかなり行われておりますが、アイスホッケーは過去には日本チームはBクラスではありましたが、カナダ、ロシア、アメリカとまではありませんでしたが、それなりに世界の競合と張り合ってましたし、有名な選手も数多くおりました、今では日本リーグが休止されてしまい全くと言っていいほどテレビ中継がなくなったのは真に残念であります。こうなるとレベルを上げることは相当に難しくなるでしょうね。ラクビーは今年ワールドカップに出場はしたものの勝利が掴めずまだまだ世界のレベルからは離れていることを痛感させられました。しかし私にとってこのアイスホッケー、ラクビーがサッカー以上に活躍してくれて、観戦できるようになれば私にとってこれほどの喜びはありません。

一方今年はサッカーに関する話題は豊富ですね。男子南アフリカワールドカップ決勝リーグを果たした後、アジアカップで優勝、3月11日の大震災後のチャリティーマッチでは「キングカズ」がゴールを決めたり、アンダー22ではブラジルとの試合は負けはしたものの健闘が光った。そしてなんと言っても女子ではドイツワールドカップでドイツ、アメリカを破り優勝、すばらしい躍進と活躍、目を見張るものがありました。スピード、テクニック男子に劣らない姿を見ると女子サッカーのさらなる活躍が期待されます。男子せよ、女子せよ活躍勝利を見るとよし自分もという気分になり、気持ちが高ぶり、より仕事に励めるような気がいたします。そして年末のクラブワールドカップ、サッカー好きの私にとっては忙しい、嬉しい1年でありました。

私がなぜサッカーが好きになったかといいますと、サッカーとの最初の触合いにあります。私が中学校のときです。私はその時代埼玉県大宮市(現在のさいたま市)に住んでおりました。ある日中学校の学校の先生が突然授業をやめ、クラスの生徒全員を連れて大宮公園にあるサッカー練習場に連れて行ってくれました。当時はサッカー練習場とは言っても観客席があるわけではないし、芝生がきれいに張られているわけではないし、草ぼうぼうの本当に広場といった感じの練習場でした。国立競技場が建設される以前のことですので、サッカー球技場あるいは本格練習場という施設は日本国内ではあまり無かったのではと思います。そこで私が見たものはドイツのクラマーコーチが率いる全日本のメンバーの練習風景でした。先生はきっとその光景を見せて、近く行われる東京オリンピックでの関心を持たせようかと思ったのでしょう。日本代表選手釜本、杉山、宮本、荻、森などがおりました。クラマーコーチが指導し、選手がドリブル、パス、シュート等の練習を繰り返しておりました。その風景は今思い出してもぞくぞくする感じがいたします。今日の中学生活ではそんな勝手なことをすると父兄からクレームがつきそうなことですが、当時はおおらかなものでした。これをきっかけに実業団チームのリーグ戦や海外チームが来日し日本チームとの国際試合は国立競技場に出向いたり観戦しにいくことがありました。さらに数年後の東京オリンピックの興奮と、その後のメキシコオリンピックでの銅メダル獲得で本当にサッカーが好きになってしまいました。ただあまり体力に自信がなかったし、あまり運動神経も並以下でしたので自分でサッカー選手になろうというところまではいきませんでした。

サッカーは素晴らしい、ボールひとつで世界が一つになれる可能性も感じます。来年ももっと素晴らしい試合を見せてほしいものです。

神楽坂のイタリアン(ランチ版)

2011 年 9 月 29 日

以前にも紹介した店を含めて10件ほど食べ歩いて、恒例によりベスト5を選んでみた。今回はランチ版であり、ディナーはまだ一度も行ったことがないが今後はそれもターゲットにしたい。

1、 リストランテ ラストリカート
 如何にも神楽坂らしい石畳の兵庫横町入口にある店。

昨年7月に会社が飯田橋へ越してきて、半年間はよく通った。前菜にサラダかスープを選び、パンが出てきてお代わりもでき、パスタは2種類、トマトソース系とホワイトソース系から選ぶ。そして、コーヒーで締める。パスタはアルデンティーライクで腰がある。ソースの味はなかなかのものである。パンも美味いし、コーヒーの味もいい。しかし、その後の半年はほとんど行っていない。というのは、そこのウエイトレスさんが今年1月に辞めてしまったからである。彼女は最初に行った時大変愛想がよく、2度目、3度目に行った時、「2度目ですね」「3度目ですね」とどこにいても飛んできてこういう挨拶をしてくれた。その後も常に気にしてくれて、今年1月に行った時、「私今週で辞めて富山に帰るんです」と心なしか涙ぐんだ様子で語っていたことが物凄く印象に残っているのである。そんな訳であの半年間を考慮に入れて1位にした。

2、 パスタの店 SPIGA
JR飯田橋駅の水道橋よりの交差点から直ぐの大久保通りに面したところにある店。いつも昼には行列ができていて、なかなかの人気らしい。ランチサービスとしてサラダとコーヒーがパスタの他に付く。パスタは生パスタでオリジナルとのことで少し太めだが実に感触がいい。トマトソースの味がこのパスタによく合っていて成るほど人気があるだけのことはあると実感した。

3、 ALBA
 神楽坂の早稲田通りを登り切り、大久保通りとの交差点を渡って2,3分歩いたところのある。サラダ、スープ、パンが出てきて、パスタになり、最後にコーヒーが付く。いずれもなかなかのものであった。イタリア人のコックが陽気で店の雰囲気はよかった。

4、 Sorriso
仲通りには本格的イタリアンレストランソリッソがあり、そこのランチは、限定20食が1050円だったが、当日は売り切れで、1575円のサラダ、パン、デザート付のスパゲティーにせざるを得なかった。サラダは美味しかったが、パスタは亀戸のラ・フォンテに比べると少し落ちるが満足感はあった。但し、コストパフォーマンスから言うと断然ラ・フォンテに軍配が上がる。

5、 AGARIS
 ここもかなり混んでいた。場所が早稲田通りの坂を上がりきったところで、入り口は少し横町を入ったところの地下にあるので、立地条件の良さかもしれない。と言うのはサラダ、パスタ、コーヒーと一通りのコースだが、いずれも帯に短し襷に長しの感があったからだ。

この他、早稲田通りに面した「La Champagno」、「イタリア食堂」や大久保通りの「SPIGA」の横を通って路地を少し行ったところにある「ラ・クロッタ」などがあり、いずれも「AGARIS神楽坂」とパスタ、味共にそれほどそん色ないが、店の雰囲気などを加味して番外とした。

我がブログのこと

2011 年 7 月 27 日

以前にも紹介したが、私は自分のブログ「松尾文化研究所」を持っていて、この7月に弊社の創立5周年に先立ち、5周年を迎えた。そして、先週金曜日に作品数は300回を数え、その記念の記述を行った。その内容を以下に掲げる。

「このブログを立ち上げてちょうど5年、作品数は300に達した。週一度のペースで書き続けたことになる。思えば、このブログを立ち上げて4カ月後に今の会社、株式会社Ft-Netを立ち上げ、かなり忙しい日々を送ってきたが、まあ何とか週1度のペースを守ってきたことにささやかな満足感と同時に、内容には大いなる不満を覚える。特に最近は忙しさにかまけて出勤の往き帰りの電車の中で読んでいる小説などの読後感が中心になっていることに矢張り内心忸怩たるものがある。それでも読者の方々から、私の読後感を読んでその本が読みたくなったとの感想を述べられることが多々あり、まあいいかと生来のいい加減さに甘えてしまっている今日この頃である。勿論、仕事が化学であるので、余暇は化学を忘れて文学に勤しむことに大いなる喜びを感じていて、休日や就寝前のひと時、そして往き帰りの電車の中が仕事に勝るとも劣らない充実感を感じるのは文学の御蔭だとも思っている。

 また、音楽は文学に勝るとも劣らないほど好きな世界。このひと月余りの間の土日の2度ほど、韮崎にある別荘に友人を招いてクラシック音楽に浸った。平野啓一郎の「葬送」を読んだ後だったので、ショパンの曲が中心だったが、これまた充実したひと時であった。別荘と言ってもあばら家であり、音楽装置も大したことはないが、高校の友人が置いていってくれたスピーカーがなかなかいい音を奏でてくれることと、周りに家がなく、夜中でも大音響で聴くことができること、そして何よりも気兼ねない友人と過ごせる解放感が音楽の楽しさを満喫させてくれたのだと思っている。

私の信条は自然体。その時その時をあまり深刻に考えずに自然に生きることである。勿論、生きている以上色々なプレッシャーはある。このブログもプレッシャーの一つである。しかし、仕事も含めてそのプレッシャーが楽しく感じられるようになってきたのも今日この頃の偽らざる心境である。まあ、長い人生を送ってきたその証かもしれない。

これからも適度のプレッシャーを楽しみながら、この自然体を貫いていきたい。5年で300回だから10年後には900回になる勘定だ。先のことは分からないから、次は350回を目指し、次は400回、次は450回、次は500回と積み重ねていき、できれば1000回はクリアしたい。内容については仕事の状況によるが、今の状況が続く限り文学が中心になることは間違いない。仏教の楽しみ、散歩道、名曲の楽しみ、そして美術鑑賞の世界などが適度に組み合わさっていくようになるべく努力したいとは思っているが・・・。」

仕事においても、ブログ同様大好きなFT-Netのために自然体で貢献できればと考えている。何時までできるかは天のみぞ知るであろう。

「クマムシ」って・・・・・。

2011 年 7 月 14 日


ある日、私が愛犬を連れて散歩をしておりましたら、近所の愛犬家男性Aさんと偶然にお会いし、共に暫く散歩をご一緒することになりました。Aさんは私と同様大変な愛犬家であり、またお酒という共通する趣味がありましたので時々おしゃべりをさせていただいたかたでした。

その日はAさんから「クマムシを知っていますか」と聞かれました。クマムシでムシという言葉が付いていたので多分昆虫類と推定したにとどまりましたが、私は学生時代自然界の動植物の生態や分布を調査する団体に属しており、尾瀬ヶ原に代表されるような高層湿原という狭い限られた範囲の昆虫類、小動物、植物、菌類、藻類等を事細かく観察調査をしてきたという経験があり、ある程度の昆虫類を含めた動植物の知識は多少ありましたが残念ながらクマムシという名前は初めて知りました。

 でもクマムシという名前にも惹かれ「クマムシというものは知りませんでしたが、なにか興味は持てそうな名前ですね」と答えたところ、その方は少し得意な顔になり、是非ともと言ってAさんのお宅に招待されました。すると普通の御家庭には絶対に見られない大変立派な顕微鏡が2台ドーンと鎮座しており、まあ覗いて御覧なさいと言われ、顕微鏡を覗いたところなにやらおかしな生き物がいるではありませんかこれがクマムシですと言われましたが、私がこれまでに見た多くの動植物類とは全く異なった誠に不思議な形態の生き物でした。残念ながらその時の写真はありませんのでインターネットからダウンロードした「クマムシ」の写真を掲載させてもらいます。なんとも不思議な形の生き物ですし、よく見るとユーモラスな姿をしております。

 その方のお話をかいつまんでクマムシをご紹介しますと、クマムシは4対8脚の足を持ち、ゆっくり歩く動物、緩歩(かんぽ)動物に分類され92属750種が知られているそうです。熱帯から、極寒地方、超深海から高山、温泉の中まで、海洋、陸水、陸上ありとあらゆるところに生息している。大きさは1mm以下で、多くは湿地のコケ類や淡水中の水生植物の間、海岸潮間帯の藻類の間等に棲み、堆積物中の有機物を含む液体や、動植物の体液を食物としているようです。そのクマムシの持つ最大の特徴その形ではなく、彼らが持つ生命力にあるそうです。その不死身ぶりはほぼ絶対零度(-273℃)の低温から、150℃の高温、そして人間の致死量の千倍以上に相当する放射線(57万レントゲン)、しかも真空状態に曝されても生きているという、まさにスパーマンを凌ぐような不死身にあるそうです。但し生きたクマムシを踏めばぺちゃんこになるし、火にくべれば真っ黒になってになって死んでしまうそうで、極限状態での生命の維持はクマムシが乾燥状態にあるときだそうです。乾燥状態になると樽型に変身、真空、高温、高圧、放射線にも耐え、電子レンジでも平気で、120年間水無で生き続ける。といったお話を伺いました。

 Aさんは以前から「クマムシ」の生命力は何が維持しているのか興味を持って観察を続けているそうです。Aさんはだいぶ前に定年退職され、今日に至っているそうですが会社勤務時代から自然界の動植物に興味があり、菌類などいろいろな物を観察を続けていたが現在はクマムシに特に興味を覚えたそうです。Aさんはこの「クマムシ」の生命力の根源を追求すると共にその増殖にも力を入れているそうです。

 毎週日曜日の6時半からTBSで「夢の扉」という番組が放映されているが私はこの番組が大好きで欠かさず見ている。夢の扉では町の学者さん、大学の研究者、企業の開発担当者達が自分研究に将来の夢を持って毎日地道な努力を払いその現実に一歩一歩近づこうとしている姿と将来像を紹介してくれるものである。中にはこれが実現したら人類の発展に大いに貢献できるようなことを自分一人で日々こつこつと努力されて、それが暫くたつと本当に現実味を帯びてくると感動ものであります。

 先ほどのAさんがクマムシの生命力の根源を明らかにすることは難しいかもしれないが、それがAさんの手で明らかにされたならこんなうれしいことはない。そんなAさんに少しでも力になればと思いインターネットで関連文献などを調べて提供を行ったりしております。大学や企業の研究機関に比べ研究設備も乏しいAさんその努力が報われる日を待ち続けたいと思います。

しもきた茶苑 大山

2011 年 6 月 10 日

久しぶりの食いしん坊ネタです。

最近は節電節電ということで
蒸し暑いにもかかわらずクーラーが効いていなくて
かなり暑いですね。

クールビズもいろいろあるようですが、
やはり暑い夏はかき氷が一番と思っています。

自分はかなりのかき氷マニアで
都内のあちこちのかき氷を食べ歩いているのですが
その中でも群を抜いて一番うまいかき氷といえば
即答で下北沢にある、大山のかき氷をあげます。

昨年はTVに出たせいか、ものすごい行列で
ありつくことはできなかったのですが、

今年は6月1日の解禁日をHPで確認し
所用で下北沢に行ったときにかき氷を食べてきました。

自分は抹茶ミルク♪

一緒に行ったつれはほうじ茶ミルクを。

今年はもう一度くらいは食べにいかなきゃ!

神楽坂の蕎麦処201105

2011 年 5 月 9 日

昼食を月曜から金曜まで毎日のように神楽坂の店で初めて早9ヶ月余りが過ぎた。日本食、中華、イタリアン、フランス料理などその多彩さは尽きるところを知らず、大きな楽しみの一つである。とは言っても最初のころ毎日異なる店を渡り歩いたのとはと違い、美味しくて手ごろな値段のところには何度も足を運ぶようになり、最近では余りレパートリーは増えてはいないが、それでも数十軒の店には入っている。
そこで、今まで入った店をジャンル別に紹介していきたいと考えている。まずは蕎麦屋を今回取り上げる。今までちょうど10件入った。既に紹介したところもあるが、改めて紹介すると、「やませみ」「酒膳中村屋」「九頭龍蕎麦」「志なの」「丸屋」「練りや文楽」「ゆうゆう」「翁屋」「蕎楽亭」「ゆかり」である。
その中で、ベストスリーを選んでみた。その基準は、蕎麦の腰、蕎麦の香り、そして、蕎麦つゆと店の雰囲気である。
「蕎楽亭」「やませみ」「ゆかり」の三軒。

まずは蕎楽亭。いつも混んでいる。上の写真の左端にちらと見えるのは開店前の行列の先頭。カウンターと数席の四人がけテーブルの店。私は東京や横浜の有名な蕎麦屋はほとんど行っているが、蕎麦は腰、香、つゆともに最高峰の一つと言ってよいと思っている。天ぷら蕎麦は海老などやや小ぶりなのが不満だが、ともかく蕎麦通には堪らない店だと思う。

「やませみ」は既に紹介している。「天セイロを頼む。天ぷらがカラッと揚がっていて、天つゆも美味く、蕎麦も腰があり、風味があってなかなかのものであった。」その後も何度も入ったが、神楽坂本通りに面して、ここもいつも混んでいる。

「ゆかり」は「蕎楽亭」の先にある小さな店。数席のカウンター席と四人がけのテーブルのある腰的な場所二つである。最近改装したとのことで真新しい感じが明るくていい。そして、琴の音がいかにも神楽坂という雰囲気を醸し出している。若くて可愛らしく素人っぽい女性が爽やかだ。マグロのづけ丼と蕎麦の組み合わせ、鶏丼と蕎麦の組み合わせ、そして鶏なんばんの蕎麦ぐらいしかメニューがないが、全てなかなかのものである。特にづけ丼と蕎麦の組み合わせは絶品。蕎麦は小さな笊に少ししかないが、腰といい、香といい、蕎麦つゆの味と言い、パーフェクトに近い。づけ丼もそのそばの少なさをカバーするように量が多めで食後の満腹感が何とも言えない。最近は週に必ず一度はお邪魔している。
次いで、それに続く3店は「志な乃」「九頭龍蕎麦」「酒膳中村屋」である。

「志な乃」は30年前に横浜の馬車道で入ったことがあり、そこの有名な十割蕎麦を食べた記憶が今でも鮮明に覚えている。確かに、腰とつゆは一級品であることは間違いないが、香がやや乏しい感があった。

「九頭龍蕎麦」は既に紹介している。「各種蕎麦とドンブリがついたランチがあり、笊蕎麦とソースかつ丼を食べた(890円)。蕎麦は腰があり、汁もなかなかのものであり、福井名物ソースかつ丼がボリュームと濃い目の味が食欲をそそった。」ここもその後、何回か行ったが、客の応対もよく、常に満足感があった。

「そば切り酒膳」は、以前にも書いている。「笊の大盛りを頼むが、混んでいるのと一つ一つの時間が掛かるのとで30分ほど待たされた。しかし、蕎麦は抜群に美味かった。腰があり、風味もいい。」その後も入ったが、味はいいのだが、出てくるタイミングがずれている感があった。その点を改良すればと残念に思う。
そして、他の4件はベストシックスとはかなり異なり、余程のことがなければベストシックスを差し置いて入らない店である。「丸屋」は、味はまあまあだが、応対が悪い。「翁屋」は腰が柔らか過ぎ、香がない。「練り屋文楽」は最初に行った店で、腰が硬過ぎて二度と行かなかった。最近もう一度確かめに行ったが、やはり同じ印象であった。そして、「ゆうゆう」は何となく雑然とした店の雰囲気が蕎麦をゆっくり味わう雰囲気を壊していた。

神楽坂散歩 2011年3月

2011 年 4 月 5 日

事務所が神楽坂に移って8カ月を経た。毎日昼食であちこち歩いているが、本格的な散歩はなかなかできなかった。3月初旬の土曜日、本格的とはいかないが神楽坂にある横町を意識して歩いてみた。ほとんどが既に歩いたところだが、確認する意味も含めての散歩である。

まずは、メインの早稲田通り、昼時は歩行者天国になっている。まずは腹ごしらえと入口付近の翁屋と言う蕎麦屋に入る。すでに7件ほど蕎麦屋に入っているが、ここは初めて。椅子席と畳席が左右に分かれていて、数人の客がいた。椅子席の奥に陣取る。「せいろはないの」と聞くと「もりそばですか」と来た。まあそれはそうなのだがと思いながら、壁に書かれたメニューを見て「ああ、天セイロがあるね。それでいい」と言って注文を終えた。直ぐにお茶とおからと冷ややっこが来た。こういうのは初めてだ。味は悪くない。しかし、その後なかなか天セイロが来なかった。お茶もお代わりをもらって時を過ごすとようやく海老と紫蘇の葉の天麩羅と白く盛り上がったまさに盛り蕎麦の組み合わせが登場した。天麩羅はカリッと揚がっていてまあまあだったが、盛り蕎麦は腰がなく蕎麦の香りも乏しく少々がっかりした。近い将来神楽坂の蕎麦屋ベスト5を紹介するつもりだが、ここは間違いなくその中に入らない。まあそれでも腹を満たしたので機嫌よく大通りに出る。改めてこの坂を登って見ると意外ときついことが分かった。

登り切った先に毘沙門天があるが、その先を左に折れるとゆるやかな地蔵坂のわらだな横丁がある。明るい日差しの中登った先に光照寺があった。戦国時代、この地域の領主であり、北条氏の家臣であった牛込氏の居城のあったところであり、天正十八年北条氏の滅亡とともに取り壊された。そして、正保二年(1645年)に光照寺が神田から移ってきて現代に至っている。このあたりにしては広い境内に鐘楼と本堂があった。冬の日が燦々と降り注いでいたが風が冷たく散りかけの白梅が鐘楼の脇に寒そうに咲いていた。墓の中を通って奥へ行くと諸国旅人供養塔があった。神田松永町の旅籠屋紀伊国屋主人利八が旅籠屋で病死した旅人の菩提を弔うため、文政八年(1825年)に建立した供養塔である。当時は旅先で客死する例が多く、これを示す資料として、また供養塔として貴重なものだそうである。

そこから引き返し、毘沙門天の手前の脇道大手門通りを入っていく。小栗横町を左に見ながら行くと若宮神社があった。コンパクトな近代的神社の感があったが、縁起を見ると鎌倉時代源頼朝によって建立された由緒ある神社とのこと。

またまた早稲田通りに舞い戻り、坂を下って反対側の神楽坂仲通りに入る。すぐ左に下に示す芸者新道と言う路地がある。新道と言うだけに真新しい感覚である。

その先に狭い路地があり、かくれんぼ横丁に通ずるいかにも神楽坂の横丁の様相を呈している路地のひとつである。

かくれんぼ横丁は本多横町に通じている。ここには昼食で通う店が多い。その入口の通りが軽子坂の通りで、軽子坂とは逆方向に少し行くと最も神楽坂らしい兵庫横丁に遭遇する。一度夜に来て幸本や本書き旅館として名高い「和可奈」で食事をしたいと思っている。

最後に本多横町に戻り、三年坂と言う我が事務所に通ずる坂を下りて、会社で一息ついた。

東北地震

2011 年 3 月 30 日

東北地方太平洋沖地震を見て

 3月11日突然襲来の東北地方太平洋沖地震は全てを破壊し、自然の力の恐ろしさをまざまざと見せ付けられた思いがいたします。被災された方々、地方には心よりお見舞いを申し上げるのと、一日でも早い復興をお祈りするばかりです。

 幸い弊社は机の上の書類が散乱する程度で済みましたが、関係会社様の中には物的被害を被られたり、原料や部品調達が滞ったり、電気水道等が停止し操業再開が遅れる会社様もおられたりで、大なり小なり影響を受けておられる会社様も少なくはありませんでした。

 その中で人的被害を受けられたという情報が無かっただけ幸いです。今回の地震、津波はまさに想像を絶する規模であり、膨大なエネルギーが放出されたことは間違いないとは思います。しかし気になることはニュースで盛んに言われた「想定の範囲外」という言葉であります。確かに日本ではマグニチュード9.0という途方もなく大きな規模であったし、津波も15mを超えるものであったようです。確かに過去の歴史はその規模があったとは記録にはないようですが、それを想定外という言葉で終わらせてはならないと思います。今回はいつかまた想定外のことが起こる可能性があることを自然は告知したものと思います。そして今回経験した者はその経験と対処策を後世に伝えていくことが課せられたのではないでしょうか。

 それはどんな小さなことでも良く、震災がおこり直後携帯が全く繋がらず、固定電話やインターネットが意外と役に立ったことや、事務所に置いてあった非常食が地震後のスーパーやコンビニの買い付け騒ぎに巻き込まれず冷静に対応できたこと、こんな小さなことから始めてもいいではないか。微力な弊社を頼りにして頂いている取引先様に非常時でも迷惑をおかけしない危機管理体制を組み上げていくことの必要性を痛感したしました。

 かつて2億年の長い間地球に君臨していた恐竜たちが地球上から消滅したのは各種学説があるようですが、隕石が衝突して起きたことが原因とする説が有力だそうです。もしこれがおきなかったら恐竜時代の後期には大きな脳を持って知能が優れた恐竜が現れていたそうで、場合によってはその子孫が地球を席巻していたかもしれないという想像ができます。

 今の人間社会をそのまま恐竜の時代を当てはめるわけにはいきませんが、少なくとも想定外といって起こるが天災がこれまで構築してきた文化社会を滅亡へさせるシナリオを避けるためにも、この経験とその対処策を蓄積し伝え、そして会社としてもより充実した危機管理体制を作っていきたと思います。今回の天災で悲惨なことを多く見てしまったことは間違いありませんが、それと同時に本当に人間の将来は明るいと感じさせてくれたのは、世界中の人たちが力をあわせて援助を計画し、実行してくれていることです。この気持ちがどんどん広がっていけばきっといい世の中になっていくことは間違いないと感じました。