以前にも紹介したことがある、元旭硝子の児玉俊一さんから謹呈された表題の本の読後感を綴ってみた。以前、ここで紹介したのは「フッ素の化学史に学ぶ」で、フッ素化学の発展の推移が簡潔に述べられ、司馬遼太郎の精神が貫かれているということ、つまり人間がそこに描かれているということを述べた。そして、「第1部、第2部ともに1960年ごろまでの歴史であり、まさにフッ素化学が工業として最盛期を迎える手前までの話であり、ポイントを突いた資料の収集と構成が素晴らしく、それに何といっても先に述べた司馬遼太郎の世界がベースに流れているという点にこの本の価値があると思っている。
但し、歴史というのは、そこに学び、今後のどうつなげていくかということがもう一つの大きなテーマであると思うので、今後、さらにフッ素化学の歴史を詳細に調べて、そこで行われた実験や考察の中から、将来への提言につなげていっていただければ鬼に金棒という気がする。児玉さんは今後もフッ素化学の歴史を探求していくようなので、次の機会にそのような提言を期待してやまない。」と結んだ。
今回は日本のフッ素化学の1970年までの歴史である。1837年、宇田川榕庵の「舎密開宗」の出版に始まり、呉羽化学工業がPVDFの生産開始した1970年までの学会、工業会の歴史である。私も1970年代前半に旭硝子に入り、フッ素化学の開発に従事したので、懐かしい名前のオンパレードであった。「フッ素化学史に学ぶ」同様、ポイントを突いた資料の収集と構成がここでも実現されており、その努力には頭が下がる思いであった。但し、わが国のフッ素の真の興隆期は1970年以降である。私も経験したが、デュポンや3M社の特許を読み、それを追試しながらわが国独自の技術の確立に没頭した時期は1960年代後半から始まったのである。その後20年の間に、テトラフルオロエチレン(TFE)とエチレンの共重合体ETFE(耐候性フッ素フィルム)、TFEとプロピレンとの共重合体(耐薬品性フッ素ゴム)、高性能高耐久性撥水撥油剤、フルオロエチレンとビニルエーテルとの共重合体FEVE(耐候性塗料)、TFEとSO3HあるいはCOOH含有パーフルオロビニルエーテルとの共重合体(イオン交換膜)、パーフルオロアモルファスポリマーCYTOP(透明フッ素樹脂)、パーフルオロビニルエーテルポリマー(指紋付着防止剤)などなどわが国が世界に誇る技術を工業化し、フッ素の隆盛期をもたらしたのである。その大部分が旭硝子の技術であるが、児玉さんはその出現の前で日本のフッ素化学史をストップさせている。「フッ素化学史に学ぶ」の冒頭で述べたように彼の性格からすると私が上で述べた彼も深くかかわった開発の歴史をあえて取り上げなかったことは十分考えられるが、私からするとやはり納得がいかない。そこで、敢えてささやかながらその開発の歴史をここに述べさせていただいた。勿論これ以上は言うまい。ここで述べたことは今回の「日本のフッ素化学の源流をたずねて」という素晴らしい著書をいささかもゆるがせないと思っているからである。まあ、私の勇み足とでも位置付けていただいて結構だと思っている。しかし、矢張り書かざるを得なかったことも理解していただければと思っている。
尚、彼の最初の著述「フッ素化学史に学ぶ」の書評についてご参考までに下記に掲げる。
フッ素の化学史に学ぶ 児玉俊一
児玉さんは嘗て旭硝子の研究所で同じ釜の飯を食べた仲間の一人。その印
象は、穏やかだが燃える心を秘めている人。彼が大グループを率いた時、部
下から慕われ、統率力があると評価していたが、本人の希望は常に実験を愛
し、ともかく少人数で研究だけをやりたいとのことであった。その彼が本を
書き、非売品ながら出版し、一冊送ってきてくれた。さっそく読んだとこ
ろ、実に面白かったのでここに紹介したい。
優れた歴史書は、読んだとき、タイムマシーンでその時代に飛び、臨場感
に浸れることと、登場人物が生き生きと蘇り、好きでも嫌いでもその人とと
もに別の人生をおくる気分に浸れることだと思う。そして、主人公を取り巻
く人々、環境を手際よく描き、歴史の重みを感じさせることも重要だと思
う。その条件を満たしている歴史小説家としては司馬遼太郎が思い浮かぶ。
本書は二つの部分からなる。第1部、日本におけるフッ素化学の先駆者たち
と第2部「フッ素」を築いた人々である。この本を読んでまず感じたのはフッ
素化学という特殊な分野の歴史の底を司馬遼太郎が流れているということで
ある。それは、彼の著書である坂の上の雲などを引用している点からも覗え
るが、蛍石、フッ酸、氷晶石、フロン、テフロンなどの発見、発明にまつわ
る話が人物中心であり、その人物を取り巻く環境が臨場感あふれる表現で描
かれている点において、司馬遼太郎風の歴史観が漂っていると感じたからで
ある。
特に第1部は、第1章フッ素のことはじめと題して、1837年宇田川榕庵が
「舎密開宗」を出版しその中にフッ素についての記事があるということから
出発していて興味深かった。「舎密開宗」の舎密(セイミ)はラテン語系オラン
ダ語のChemie(化学)の音訳であり、開宗(かいそう)はもののおおもとを啓発
するという意味だと記し、彼の簡単な略歴とともに幼少のころから博物学を
好んだこと、コーヒーの日本への紹介者だったことなどが述べられている。
舎密を化学としたのは幕末・明治維新の蘭学者、川本幸民で1861年出版され
た「化学新書」に登場する。「舎密開宗」には弗素の名の由来が示され、
「化学新書」にはフッ素ガスおよびフッ素化合物についての記載が見いだせ
るとし、その記述部分を資料として提出している。こういう書き出しは、
フッ素化学の専門家にとってはたまらないものであるが、多分そうでない歴
史の好きな人なら大いなる興味を持つのではないかと思う。ことほど左様
に、第2章欧米からのフッ素の移入、第3章フッ素化合物の国産化と萌芽的研
究の始まり、第4章戦後のフッ素化学においても同様の印象を持った。
第2部の「フッ素」を築いた人々では、アグリゴラの蛍石、シェーレのフッ
化水素酸、モアッサンのフッ素ガス、ミジリーのフロンガス、プランケット
のフッ素樹脂(テフロン、PTFE)をとりあげ、その人物論、その発見発明に至
る経緯とそれが及ぼした影響について記述しているが、臨場感あふれる表現
が印象的で、面白い読み物の印象が強かった。
第1部、第2部ともに1960年ごろまでの歴史であり、まさにフッ素化学が工
業として最盛期を迎える手前までの話であり、ポイントを突いた資料の収
集と構成が素晴らしく、それに何といっても先に述べた司馬遼太郎の世界
がベースに流れているという点にこの本の価値があると思っている。
但し、歴史というのは、そこに学び、今後のどうつなげていくかというこ
とがもう一つの大きなテーマであると思うので、今後、さらにフッ素化学
の歴史を詳細に調べて、そこで行われた実験や考察の中から、将来への提
言につなげていっていただければ鬼に金棒という気がする。児玉さんは今
後もフッ素化学の歴史を探求していくようなので、次の機会にそのような
提言を期待してやまない。