科学と宗教-2 南方マンダラとユング曼荼羅

このシリーズ2回目は南方熊楠とユングのマンダラ感を取り上げてみた。

曼荼羅は仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したもの。古代インドが起源、その後中央アジア中国朝鮮半島日本へと伝わった。私は高野山金剛峯寺で大きな両界曼荼羅図(胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅)を見た時、とてつもない大きな宇宙を見た感があり、その印象が最近の宇宙論と重なるのである。

「南方マンダラ」。南方熊楠が達した世界がまさに今私が追求している科学と宗教の世界であるらしい。この本の題からそう読みとって読んでみた。実に示唆的な本であった。熊楠は「事」として生まれる世界の本質をとらえる方法が、真言密教のマンダラ思想の中に潜んでいることを、直観的に理解していた。西欧で発達しつつある、現代の学問の限界を食い破って行く思想が、仏教の哲理の中に眠っているらしいと言うことを彼は知っていた。熊楠は「科学と仏教は対立しあうものではなく、科学はマンダラ思想のような東洋の哲理と結合されることによって、かえって自分を完成させることが出来る筈なのだ」と言っている。この本は、事の世界は夢の研究、比較宗教論と仏教起源論、反進化論および変化の論などについて彼がロンドンから仏教学者で高野山学林長、仁和寺門跡であった土宣法竜師に出した所見が取り上げられている。仏教が他の宗教に抜きんでて深く壮大なこと、仏教の起源は釈迦でなく、大日如来であること、釈迦は仏教を発展させた一人であり、その中でも最も優れた存在であること、熊楠の時代は水素が全ての物質の根源であり、大日如来は水素であると言っている。小峰彌彦の「曼荼羅の見方」の中でも「密教では釈尊の存在を根底に据え、新たな仏陀観を持ちました。即ち、仏陀を全宇宙の存在を司るものとし、これを人格的に捉えて大日如来としました。そして、歴史上の釈尊を、大日如来の変化身として位置付けたのです。そして、胎蔵曼陀羅では釈迦院として東方に位置させ、釈迦如来を悟りの具体的な教化・救済活動の実践者として示したのです。」としている。

熊楠による学問の方法論「南方曼荼羅」を、図にあらわしたのが、直線と曲線から成り立つ下図である。これは熊楠が土宜法竜師に宛てた1903718日付の書簡に書かれている。彼は、「核の周りを動く電子の軌跡のような線と、そこにクロスする直線、すべての現象が1カ所に集まることはないが、いくつかの自然原理が必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることのできる点「萃(すい)点」が存在すると考えた。

高野山大学教授の奥山直司は第8回南方熊楠ゼミナール研究発表で、熊楠と法竜との書簡のやり取りを取り上げ、「我々は大日如来の体内を輪廻する原子のような存在であって、過去、現在、未来にわたる大日如来の形相事相を完具している。仏性(熊楠は霊魂とする)もまた然りであって、そこに我々が成仏する希望がある」との見解を示している。

次にユングのマンダラを取り上げる。「個性化とマンダラ」。この本は昔ユングに夢中になった時、最も印象に残った本である。いま読み返してみて、彼の原点であるキリスト教への信仰の篤さを感じるが、彼独特のマンダラの世界を描き出している点大いなる共感を覚えた。勿論、彼の言うマンダラは、自分の心の投影を図形化したものであり、上記の曼荼羅とは異なっている。彼は無意識の世界を徹底的に追及し、人間には共通の無意識の世界が存在し、意識下の世界としばしば衝突し、所謂精神病は意識が無意識に敗れてしまった結果だとしている。無意識の世界は人間の元型であり、特に集合的無意識は「遠い過去に属する未知の心の生を、かりそめの意識の中へもたらす。それは我々が知らない祖先の精神であり、祖先の考え方や感じ方、彼らが生や世界や神々や人間を経験した仕方である。この太古的な層があるという事実はおそらく、「前生」からの生まれ変わりや記憶が信じられていることの基礎である。」として、人類共通の深い層の中に生きており、機能しているとしている。彼は世界中の人々にマンダラを描かせたところ、共通したパターンが得られ、それが意識と無意識の葛藤から生まれ出たものとの確信を得た。東洋の曼荼羅との共通点は円と四角と核となる中心の図形が基礎となっていることである。

ユングのマンダラが自己の小宇宙、密教の曼荼羅は仏の世界、大宇宙を表したものである。仏教の目的は人間個々人が悟りを開いて仏になることであることを考えると自己の小宇宙が、大宇宙に変身していくと言うプロセスが浮かび上がってくる。マンダラと曼荼羅が大いなる関係で結ばれたのではないかと思っている。