昨年から科学と芸術と言うテーマで書き続けてきたが、今回は音楽を取り上げ、それに関する本を3冊読んで、音楽における科学性について考えてみた。
まずは、西原稔と安生健の「アインシュタインとヴァイオリン 音楽の中の科学」これは新聞広告で見つけた本。しかし、これほど題名から期待したことと異なる内容を突き付けられた本は未だ嘗てない。この題名からは当然のことながらアインシュタインがヴァイオリンとどう向き合い、その中で音楽と科学の接点を彼がどのように理解したかが述べられると思った。
確かに最初はアインシュタインの相対性理論などの発見の歴史と生涯が描かれ、更に彼がヴァイオリン奏者としての活躍ぶり、音楽はバッハ、モーツアルト、シューベルトを好んで弾いたことなどが述べられていた。しかし、それはこの本の序文を占めるのみで、本文は、第一章「音と数の秘密」、第二章「天体と音楽」、第三章「平均律と純正律」と題する音楽理論に関与した科学者を中心のお話であった。最初は裏切られた気持で読んでいたが、次第にこれぞ科学と芸術のテーマに相応しい内容だと思い、さらに内容を深めようとこの本に類似した「音楽と数学の交差」、「音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか..」を読んでみた。
「アインシュタインとヴァイオリン 音楽の中の科学」の本文の第一章。キリスト教における聖数と音楽との関係や黄金分割やプラチナ分割と音楽の関係が述べられていたが、かなりこじつけ的な要素があり、まだ裏切られた気持を引き摺っていたこともありピンとこなかった。その章の最後にピュタゴラスが取り上げられていた。彼は勿論あの「三平方の定理」で有名なギリシャ時代の数学者。その彼は音程理論の創始者であり、近代に至るまで多大の影響を及ぼしていた。彼は一本の弦と駒の位置から振動数を変えて完全調和のオクターブに次いで調和度の高い完全五度が弦の長さで比較すると3分の2に比率であることを発見した。オクターブは1:1/2であるから1:1/2=(1?2/3):(2/3?1/2)と言う不思議な数式が導き出せる。ここに数学との接点があると言うわけである。音の振動数は弦の長さの逆数。あの幾何学の大家ユークリッドがこの完全五度音程比を基準として次々と五度ずつ音程を上げていったがオクターブとは一致できなかった。そのわずかな差が計算され、音程比で531441/524288.これがピュタゴラスコンマと呼ばれ、後の平均律や12音階に繋がっていく。第二章に登場したのがケプラー。「惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円を描く」の法則を生み出したあのケプラーである。彼も音楽理論の大家であった。天体と音楽の調和はピュタゴラスも認識しており、プラトンやプトレマイオスなどもその考え方を踏襲し、ケプラーへと引き継がれていく。彼は惑星の軌道を天文学と音楽理論によって解明しようとした。各惑星が、太陽から見て一定期間に移動する角度(角速度)の比をとり、それをその星の音程とした。太陽の周りを回る星々は、それぞれ自分の音程を持ち、宇宙の中で素晴らしいハーモニーを奏でているとした。そのことがあのホルストの名曲「惑星」を生み出したと言っても過言でない。第三章では、ヘルムホルツが登場する。あのエネルギー保存則を打ち立てた物理学者だ。彼の時代には既にバッハが平均律クラヴィア曲集を出しているし、ラモーもピュタゴラスコンマの解決に一役買っていた。そんな中で、彼は振動数比からは純粋な和音は生まれないとし、オクターブを32分割する調律法「ヘルムホルツの平均律」を考案し、それに基づいて純正調オルガンと言う鍵盤楽器を発明した。この平均律や12音階によって均一化されたため転調による音楽の不思議な感覚の違いが不明確化され、絶対音感と言う弊害を生み出した。マックス・ウエーバーはこのことを近代化による当然の帰結としたが、あの微妙な音楽のニュアンスは消えたと言っていい。
「音楽と数学の交差」。数学者の桜井進と作曲編曲家の坂口博樹との共著。これは、表題通りの内容で、上記の内容をさらに肉付けし、保管するものである。人類誕生から歌が生まれ、数を認識した歴史が語られ、音楽と数学の結びつきの必然性につなげていく点は説得力があった。そして、宇宙と音楽についても、小林・益川理論の対称性の自発的な破れが宇宙の誕生につながり、音楽においても、対称性を根源に持ちつつも、その破れにより豊かな多面性が展開されるとして、共通のものが存在するとしている。そして、アインシュタインが宇宙の根本原理がきわめて単純で美しいものであるとすれば、そのハーモニーを音楽で聴こうとする人がいてもおかしくない。だからこそ、アインシュタインはモーツアルトを必要とし、「私にとって、死とは、モーツアルトが聴けなくなることです」と言わしめたと言う。次いで、音楽と数学の中の「無限」について述べている。
数学では、ニュートン、ライプニッツからオイラーを経て、ガウス、ディリクレ、リーマン、ヴェイエルシュトラスにより大いに発展し、カントール、デデキントの集合論に至るのである。カントールの無限論は0+0+0+・・・・=1で描かれる確定的無限であり、それまでの不確定的無限とは全く異なるものである。そして、音楽では、ベートーヴェンやシューベルトが宇宙と音楽の調和を謳い、人間の持っている無限感を内包しているが、その後ロマン派においてその無限感は廃れ、ようやくドビュッシーから無限感が蘇り、シェーンベルグ、ベルクの12音階を経て、ウエーベルンによりカントールの確定的無限を持つ音楽を生み出したとしている。さらに、ストックハウゼンやピエール・ブーレーズらの先導したトータル・セリーに受け継がれ、音のあらゆる属性が数列的に構成されたとのことであった。ゲーデルの「不完全性定理」から「数学は人間の創造ではなく、数学的対象と事実は人年の存在に関係なくその外にある。だから人間にとって数学の謎は永遠に残り、人間がある限り数学の探求はなくならない。」が導き出される。そして、「芸術は、人間の生きることの反映であり、決して理論では割り切れない矛盾だらけのもの。だからこそ、人間のある限り永遠になくならない。」と芸術と数学の共通点を明確にしている。最後は著者二人の対談。書き記されてきた内容を対談で深めていく。そして、将来について、量子コンピュータが世界を劇的に変え、科学も音楽もランダムの時代に入ると言う。大いに啓発された。
「音律と音階の科学―ドレミ…はどのようにして生まれたか..」。上記2冊の本で議論された音律について、特にピュタゴラス音律、純正律、平均律、12音階が更に詳しく解説されていて、頭の整理がかなり進んだ。そして、音律と転調の関係も理解が進んだ。しかし、あのバッハの「平均律クラビア曲集」の平均律は、ドビッシー以後の完全なものとは異なり、曲名は変えるべきとの意見はどうでもよく、さらに後半は音楽の理論的な記述が長々と続き、敢えてここに紹介する必要性を感じなかったことをお断りしておく。
音楽と科学、特に数学との関係が只ならぬものであることを認識できた。そして、これからもその両者に大いなる関心を強め、私なりの考え方を打ち立てたいと思っている。