科学の中の芸術性
科学と芸術の共通点は美であることを述べてきた。今回は科学の中の芸術性と題して、科学の中に香る芸術性について述べてみたい。
セレンディピティーという言葉がある。「セレンディップ(セイロン、今のスリランカ)の3人の王子がはじめから意図してではなく、いつでも偶然に、しかしうまい具合に、色々なものを発見していく」という話から18世紀ごろからセレンディピティーという言葉を、自分自身の偶然によるいくつかの発見を表現するのに使っていて、重要な発見のかなりの部分がこのセレンディピティーに恵まれた人によるとされている。いくつか例を示そう。
まずは、アルキメデスの原理。王冠の体積を測る方法を風呂に入っている時溢れ出るお湯を見て思いつき、裸でシラキュールの町を「ユリイカ、ユリイカ(分かった、分かった)」と言いながら走ったという話は余りにも有名。
次いで、アイザック・ニュートンの万有引力の法則。リンゴの木から実が落ちるのを見て何故リンゴが垂直に落ちるのかを考察し、この法則を導き出したと言うのも多くの人が知っている話。
エドワード・ジェンナーが天然痘のワクチンを発明したのは、研究室で長く骨の折れる研究の結果ではなく、19歳の時、以前乳搾りだった人に、牛痘にかかった人は天然痘にかからないと教えられたことがヒントだったとのこと。
フリードリッヒ・ウェラーが有機合成の発端となる尿素を合成したのは、全く別の化合物を合成しようとしていて、目的物とは異なった化合物を得たことによる。つまり、シアン酸カリウムと硫酸アンモニウムからシアン酸アンモニウムを作ろうとして得た白色結晶が尿素だったと言うわけである。彼は学生の時、尿から尿素を取り出す実験をしていて、尿素が白色結晶であることを知っていたと言う偶然がこの発見に繋がったとされている。
ウイリアム・パーキンがトルイジンからキニーネを合成しようとたが、得られたのは紫色の化合物であった。彼はそれを捨ててしまう前に、これをフラスコから洗い出すために使った水やアルコールが紫色になっていることに気がつき、更に布を紫色に染めることを見いだし、世界初の合成染料の製造という結果につながった。
フリードリッヒ・ケクレのベンゼンの構造式の決定は、彼が夢で蛇が尻尾に噛みついているのを見て閃いたと言う話も余りにも有名である。
ジョゼフ・プリーストリーの酸素発見、ベルナール・クルトワのヨウ素発見、ロベルト・ウィルヘルム・ブンゼンとグスタフ・ロベルト・キルヒホフによるヘリウム、アルゴンなど希ガスの発見、など重要な元素の発見もこのセレンディピティの賜物である。
まだまだこういった話は枚挙にいとまがない。近代細菌学の開祖であるルイ・パストゥールは、「観察の場では、幸運は待ち受ける心にだけ味方するものだ」「偉大な発見の種はいつでも私たちの周りに漂っているが、それが根を下ろすのは構えた心に限られる」と述べている。ここに大いなる芸術性を感じるのは私だけではないと思う。
今年のノーベル物理学賞は「ヒッグス粒子の発見」であった。真空状態から宇宙誕生したのは137億年前、そのカギを握るのがヒッグス粒子だと言う。ロサンゼルス・ピアース大学部類学科教授山田勝也氏の「真空のからくり、質量を生み出した空間の謎」を読んでみた。
「真空は決して空っぽの空間ではなく、複雑極まる物理系であり、この宇宙のすべては真空から生まれた」として、難解な物理学の理論をかなり分かりやすく書いている。真空は真空であって、それ以上の議論はないと考えられてきた真空が無言でざわめいているという事実が20世紀に入ってからわかってきた。アインシュタインの相対性原理と量子論から湯川秀樹の中間子理論に始まるクォークの世界、そして、南部陽一郎の「真空に起きた自発的対称性の破れ」にはじまる真空状態から宇宙誕生の解明につながっていく。真空中には質量を持たない仮想粒子が存在し(寿命が極端に短いため観測不可能)、それが蠢いていることがざわめきの原因。この仮想粒子が対称性の破れによってヒッグス場が発生する。仮想粒子がヒッグス場と相互作用する時に質量を持つヒッグス粒子ができる。そして、クォークもヒッグス場との相互作用により質量を持つようになり、それが爆発的に広がって宇宙が誕生したと言うわけである。実に複雑ではあるが、壮大なドラマを見ているようで、不思議な感動を覚えた。ここにも大いなる芸術性の香を感じた次第である。