科学と芸術2

美について
 科学と芸術の価値の源泉は美であることを既に述べた。科学の場合、美は結果であり、芸術の場合は、美は対象であり、結果でもあるという。
 美とは何か。改めて問われると美しいと感じた色々な光景が浮かんでくる。数えきれない美しい風景、美しい芸術品、美しい音楽が次から次へと浮かんでくる。その中で敢えて数例を取り上げてみたい。まずは、北海道の摩周湖の神秘的な景色。学生時代に友人と共に訪れた。最初は霧に覆われて見えなかったが、急に晴れて下の写真のような風景が目の前に現れ、その美しさに暫し声も出ず佇んだことが、昨日のことのように思い出される。次いで、京都の嵯峨野の紅葉、常寂光寺の庭に燃えるような真っ赤な紅葉の美しさにまさに絶句した。次いで、スイスのユングフラウヨッホのアレッチ氷河、登山電車でアイガー北壁の内側を通り、一気に4000メートルの高さに達し、心臓がバクバクし、頭がぼーっとする中で目の前に広がる氷河の壮大かつ美しい光景を目にして酔いしれた一瞬を味わった。さらに、静嘉堂文庫美術館の曜変天目茶碗。既に何度も鑑賞し、このブログでも何度か紹介したが、写真では現されない凄さが目に焼き付いている。また、モネの「睡蓮」。この絵は何処で見たか忘れたが、数々のモネの作品の中で一つあげるとすると矢張り睡蓮になる。構図と色彩の美しさは抜群である。そして、ボストン美術館で見て衝撃を受け、次の日も見に行ったルノワールの「ブージヴァルのダンス」。あの時、多分可憐な少女の美しさに惚れてしまっていたのだろうと思っている。
「美しい!」と感じることは人に感動をもたらす。感動は人を活性化し人格的厚みを増大する。芸術家はこの美の対象を常人より深く感じ、衝動的になり、美しい芸術作品を創り出す。

科学者はどうであろうか。果たして結果のみであろうか。いや、ある現象の中に、直観として美しい原理が潜んでいることを予想できる科学者こそ一流だと思う。ニュートンが、リンゴが落ちるのを見て万有引力を見いだし、下記の3法則から成るニュートン力学の基礎を築いたというのは余りにも有名である。勿論、あれは作りごとだと言う人が多い。しかし、たとえそれが後からつくられた話だとしても、ニュートンはそれに近い経験から万有引力に到達したと思うのである。彼はリンゴの落ちる現象の中に万有引力という美しい概念を見いだしていたのではないだろうか。そして結果は、下記の通り明快な美しい原理なのである。
第1法則(慣性の法則)
質点は、力が作用しない限り、静止または等速直線運動する。(これを満たすような座標系を用いて、運動法則を記述する.)
第2法則(ニュートンの運動方程式)
質点の加速度 は、その時の質点に作用する力 に比例し、質点の質量mに反比例する。
a=F/m
第3法則(作用・反作用の法則)
二つの質点 1、2 の間に相互に力が働くとき、質点2から質点1に作用する力 と、質点1から質点2に作用する力 は、大きさが等しく、逆向きである。
F21=-F12
また、アインシュタインの相対性理論(特殊相対性理論)はエネルギーEと質量mと光の速度cとの間に下記の関係が成立すると言うもので、「物理法則はすべての慣性系で同一である」という特殊相対性原理と「真空中の光の速度は、すべての慣性系で一定である」という光速度一定の原理を満たすことを出発点として構築された。
E=mc2
彼はそれまでに構築されていたニュートン力学、マックスウエル電磁気学方程式を踏襲し、それらを包含した宇宙の規模にまで広げた理論を構築したわけで、そこには矢張り美しい対象があり、結果としてシンプルな美しい式を導いたと言える。上記の自然や芸術品の美とは質は異なるが、美という点で共通していると思う次第である。
平凡な人間でもそういう体験はしていて、色々な作品を生み出し、色々な原理を創造していると思う。その客観的な衝撃の大きさが異なるだけで、個人としては大きな衝撃なのである。勿論、すべての人間は科学の原理・法則を知り、優れた芸術作品に触れ、感動を覚え、充実感を覚え、自らの心の糧とすることが出来る。自分の小さな体験と、偉大な作品や原理に触れる体験ができることは人間の尊厳に繋がる。これぞ万物の霊長たる所以であるのである。