運が良かった話。

3月3日土曜日この日は会社が休みで、私は朝から自分の部屋を片付けたり、愛車の洗車忙しい一日であった。午後になり、少しゆっくりする時間が取れたので愛犬の散歩をいつもの慣れたコースで開始した。散歩の途中突然私の体は何かの術にかけられた様にふわっと倒れてしまった、そのとき自分は何が起こったかまったく把握ができず、ポカンと道端に腰を落として座り込み、一方愛犬は主人が座り込んでいるのを不思議そうに見ているだけであった。そのことが後で地獄を見ることに繋がるとは考えもしなかった。体を見回しても傷ができた様子もないし、腰や足にも打撲ができた様子もないし、どこにも全く痛みも感じなかった。その日は一杯飲みながら夕食を済ませ、いつも通りに読書をしながら寝床に入り、暫くすると左手甲がズキン、ズキンと痛み始めそのときはそれ程強い痛みではなかったので家族を起こすわけでもなく痛みを感じつつ寝入も寝入ってしまった。翌日は日曜日でしたのでいつもの軽い朝食を済ませ、再び愛犬の散歩に行くと、手の甲の痛みが増してきたように感じた。このときに病院に行くなり何らかの痛みに対する処置を行っていれば、その後展開は変わっていたかもしれないが、痛みの程度や、日曜診療の施設探しを考えると月曜日までまって医療施設に行けばいいと思い、手の甲をシップ薬で冷やす程度で一日を過ごすことにした。

日曜日の夜は痛みがどんどん強くなり、ほとんど眠れる状態ではなくなり、月曜日の朝には医療機関に朝一で行くことだけ考えていた。月曜日になりすぐに医療機関に行くこととしましたが何科の病院にいけばいいのか判らず、土曜日に転倒したとき手の甲を打撲して、その結果骨に何らかの異常が発生し痛みが出たのであろうと推定、近所の接骨院を訪れたが、そこにはレントゲン施設もなく、あまりにも安直に施設を選択したことを若干後悔した。しかし接骨院はすぐに整形外科に案内してくれて、そこでレントゲン写真を撮影してくれたが写真では骨には全く異常がなく、整形外科医も痛みの原因を判定しかねる状況であった。結局何も分からず鎮痛薬と抗炎症薬を出してくれまので早速服用しましたが全く痛みは引かないし強くなるばかりであった。これも後から考えれば薬で痛みがとれたら、その薬に頼り治療できる病院を訪ねることが遅れたかもしれなかった。その後は腫れの増加、激しい痛み、寝床に入ると、下痢、吐き気、下血までが新たに加わり、全く睡眠をとることができなかった。それでもなんとか明け方を迎えることができ、いよいよこのままでは改善が期待できないので本格的に病院を探すこととしたが、これまでの症状からどの専門病院を選択するのがいいか分からず妻と相談、結果総合病院に行けばどこかに収めてもらえるのではという期待だけで、船橋市立の医療センターにタクシーで訪れた。

結果的には朝一番で、しかも家から短時間で病院に到着できたのは後で分かったことだが一刻一秒を争うこの病気には最良の選択であったようである。ここは以前に心臓病を患ったとき散々世話になったので、なんとかなるであろうという期待だけで行くと、最初に診察くれた内科では血圧は60台と異常状態、そしてこれまでの状況を説明するも椅子に座っていられないほどの痛みと、モロウトした状態、内科では判断できないので緊急治療室に運ばれ各分野の専門医師が招集され討議が開始された。その間腕は腫上り二の腕の中程まで進行してしまい、手の甲は紫色に変色と水脹れができました。この現象で医師団は原因が掴めたようで(いやもっと早く分かっていたかもしれないが)。それは「劇症型A群溶連菌(殺人バクテリアと呼ばれているようです)感染症」ことが確定されました。この菌の恐ろしさは組織をどんどん壊死させていく進行の早さ、それは1時間で数cmにもなるとのこと、そして私の場合後数時間で腕を切断、1日遅れていたら死にいたっていたことが推定された。原因が確定できたので医師団としては緊急の手術で壊死部分を取り去り、体内のバクテリアを完全に除去するという方針に従い処置を開始された。担当は形成外科の評判の高いドクターで、本当に幸いにして左腕の一部の組織は取り去られたものの、左腕は完全にのこり、そして致死率30%ともいわれる殺人バクテリアからの恐怖から逃れることができた。ただあまりにもすごいバクテリアの毒素の影響と思われるが、「壊死性筋膜炎」、「敗血症」、「急性肺障害」、「急性腎不全」、「十二指腸潰瘍」などを併発、それらの回復を図り、そして組織修復のため皮膚移植手術などを行い、1月あまりの入院を経てなんとか元の世界に戻ることができた。

振り返るとこの一連の地獄からよくぞ生還できたなと思う。この溶連菌というのはどこにでも存在する菌で、通常喉が腫れる程度で済むらしい。そんな溶連菌が殺人バクテリアに変化し、しかも感染の確率は日本全国で年間数十例という低さにもかかわらず感染した「運の悪さ」はあるものの、一度劇症性に感染すると30%という高致死率の世界から脱出、しかも腕1本も失わずという状況は「運が良かった」と心底から感じている。