毎朝晩自宅から事務所のある飯田橋まで電車で通勤している。最近の電車内風景が、一昔前と大きく様変わりしている事を感じた。それは電車内で新聞を拡げて読んでいる人が格段少なくなった事である。勿論統計をとったわけではないので正確なことは分からないが、間違いなく少なくなったと感じる。本日の朝の電車内には2名程度が新聞を広げていたが、以前は隣の人とトラブルになるのではないかと思われるくらい新聞を読む人が多かった。私も以前は新聞を往きの駅売店で購入、車内で読んで会社に出勤していたが近頃では全く買わずである。では車内で皆さん何をされているかと観察するとスマホ、携帯と睨めっこしている人が多いこと、それも老若男女関係なく多くの人がやっている。そう言う私もスマホで新聞ニュース、社説記事を読んで通勤時間を過ごしている。
今般、会社での業務の効率化、迅速化を図るため今人気のタブレット端末を導入し試用を開始した。この機器の導入を契機に、メールの受発信、製品、原料の受発注、問い合わせの対応、社内保管情報の閲覧等が何時でも、何処でも出来るようにシステムを組み上げてみた。当初は操作に慣れるまで時間を要したが、現在ではほぼ導入の目標をクリヤーできる状態になり、仕事の効率、迅速の効果を得られるようになった。
一方仕事とは全く離れた場面でもそのタブレット端末が活躍する場面があったのでご紹介したい。それは最近約1月の入院を余儀なくされたからである。入院にあたって持参したものはスマホ、タブレット端末、それと小金が入った財布でそれ以外は石鹸、シャンプー、歯磨位いなもの、これでどれだけ入院生活が楽しくできるか実験であった。以前も入院の経験があったが、その時は本や、雑誌等を山ほど買い込み、それで暇な時間を潰すことしかなかったので心底飽きるという感覚を味わってきたので、タブレット端末、スマホの持参がどれだけ効果が現れるか開始である。入院開始してタブレット端末持参の効果は直ぐに感じた、第一に入院しながらも仕事ができた事である、入院であるので当然事務所には行けないのであるが、日々変化する会社情報は絶えず入ってくるので、事務所にいるときほど多岐に動き回れるわけではなかったが、事業推進には若干貢献できたことはともすると入院で会社の貢献できないのではと折れそうになる気持ちを支えてくれた。第二は仕事以外での時間潰しである、これは病院での入院生活は1日2回の担当医師の回診が必ずあるがその多くは1時間以内に終了する、残りの24時間の内訳を考えると9時消灯6時起床が規則正しく繰り返されるので睡眠が一番長い、従って昼に暇だからと言って昼寝をしてしまうと夜眠ることができなくなるので絶対に昼寝を避けると昼の15時間近くをなんとか有意義に潰していくことが必要になってくる。そこで今回はタブレット端末、スマホの登場であるがこれを相手に時間と戦うことにした。このタブレット端末にお願いしたのは「読書」、「映画、動画鑑賞」、「音楽鑑賞」、「落語鑑賞」、「日記記入」、「ゲームプレイ」、「新聞購読」、「写真鑑賞」、等である。特に「読書」が簡単にできるということは非常に有難かった、インターネットのサイトの中で「青空文庫」というサイトがある、これは日本国内において著作権が消滅した文学作品、あるいは著作権者が当サイトに許諾した文学作品が無料で読むことができるすぐれものである。このサイトには入院中大変お世話になり、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、永井荷風、吉川英治、伊藤左千夫、下村湖人、坂口安吾、北大路魯山人などの方々には本当にお世話になったような気がする。またこれらの文学は青春時代に読んだものも多かったが改めて読み直してみると当時感じたものと違った感想を多く持ったような気がするし、違った意味での新鮮さを感じた。落語の世界で三遊亭圓朝が創作した「神経累ヶ淵」というお話があるが、このは話は長く、三遊亭圓生が数時間かけて語っているのを聴いていたが、最後の結びが語られていないので中途半端な気持ちが残りなんとか知りたいと思っていたが、青空文庫の中でその本があることがわかったときは夢中で読み、結末を知ることが出来たときは長年の胸のつかえが取れたようなきがした。また美食家達が書く随筆はとても面白かったが、毎日入院食を繰り返し食べている自分と、美食家が書く文学の世界と落差が大きくショックを受け、その夜の食事がスムーズに喉を通らなくなるという副作用には悩まされた。また映画動画の世界では無料から数百円のレンタル料を払って映画鑑賞をすることがあったが、2時間ほどの映画を自分一人で独占できるのは有難かった。読書、映画鑑賞に飽きれば音楽鑑賞、ゲーム、新しいアプリケーション探し等次々に楽しめたことは確かである。では入院が楽しかったかと聞かれればそうではなく楽しいものではないが、これがなかったらもっと辛い時間つぶしが待っていただろうと思う。
思えば私の子供の頃は家に「文明の利器」と呼ばれるものが皆無だと記憶している。ただ裸電球が1,2個と螺巻時計が1個あるだけであったが、次第にカメラ、ラジオ、テレビ、洗濯機、炊飯器が増えるなどして段々便利な生活が送れるようになってきた。そのうちに電話機が固定から携帯に移行したのはこの10年位の間ではないだろうか、凄まじく便利になったり、これがない生活が考えられなくなってきた、仕事においてもタブレット端末が離せなくなりつつある。しかしタブレット端末にしてもスマホにしても便利な機能は備えているがこれを使いこなす力が失われつつあることは自分の歳を考えると致し方がないのであろうか。しかしこの便利な機能を使わずに過ごすのは誠に勿体無い、今後も技術が発達するに従いもっと高度な機能が現れるであろう、これらを使わないのも勿体無い、歳とは言わず何とか努力して便利さをこれからも追求し仕事に、私生活に便利さを追求していきたいものである。