Archive for 12月, 2010

落語

月曜日, 12月 20th, 2010

監査役Oさんから誘われて落語を見に行った。見に行くという表現は落語家にとっては失礼にあたるのかもしれないが、そんな印象が強かったひと時だった。柳家花緑独演会と題するそのひと時は、花緑飛翔スペシャルvol.18の一環とのこと。落語も花緑の祖父の柳家小さんの時代と違って随分変わったなと思った。小さんが活躍していたころ、上野の鈴本や浅草で落語を聞いたことがあるが、舞台装置は変わらないもののじっくり話を聞かせる雰囲気が漂っていたように思える。勿論、よみうりホールと言う場所の雰囲気もその違いを如実に示していたのかもしれない。
 さて、お題は「芝浜」と「うどん屋」と言う古典落語中の古典落語。「芝浜」は花緑が話して笑いを誘ったように「暮れと言えば、第九と忠臣蔵とこの芝浜」のひとつ。酒に入り浸りで仕事をしない魚河岸の男が女房にせかされて芝浜に行き、財布を拾う。42両が入っており、男はその日仲間を呼んでドンチャン騒ぎをする。女房がそれを憂いてそのことは夢だったと告げ、信じ込ませる。借金で首が回らなくなった男は改心して酒を断ち、3年間身を粉にして働き、店を持つまでに至る。そんな大晦日、女房が真実を明かす。そして、もういいだろうと酒を酌み交わそうとするが、男は杯を下ろして飲もうとしない。女房がどうしたのと問うと「また夢になるといけないから」と言う粋な落ちで締めくくられる。花緑の出だしの口上では、祖父の小さんのことばかり話し、やや鼻についたが、本題に入るに従って、迫真の語りが客を彼の世界に引き込ませ、彼の実力を認めざるを得なかった。そして、落語の面白さを存分に楽しめた。次いで「うどん屋」。これは小さんの十八番だった作品。間の取り方、うどんをすする迫真性などさすがに小さんの孫だなと思わせた。勿論、まだまだ小さんの粋には達していないが、必ずや彼に勝るとも劣らない芸風に至ると思っている。
 終わってからOさんと有楽町の飲み屋で飲みながら大いに語り合った。初めての経験だと言う彼も落語の面白さ、楽しさに感じ入った様子であった。

レイモンドチャンドラー、村上春樹訳「ロンググッドバイ」

月曜日, 12月 6th, 2010


「魔の山」が終わった直後、我が社の監査役Oさんから借りたこの小説を読んだ。これほど物語の展開が面白い本は久しぶりであった。訳者の村上春樹はあとがきで「この小説を何度も何度も読んだ。その理由としては、第一に文章のうまさがあげられるだろう。最初に読んだ時、その普通でない上手さにこんなものがありなのかと思った」と言う。確かに上手いと思う。但し、私は彼の訳で読んでいてそう感じたので、彼の訳も素晴らしかったとも言える。

「ギムレットを飲むにはまだ早すぎるね」は有名な名台詞。この小説のポイントポイントにギムレットが出てくる。しかしこの台詞は、あっと驚くどんでん返しの場面が落ち着いたところで発せられる。何とも味わい深い台詞である。

この小説は、単なる大衆小説ではない。村上春樹は準古典小説と言う言い方をしている。まさに言い得て妙である。まずは登場する人間が生き生きとしている。その意味は、個性のある人々が実に粋な会話を繰り広げいく。洗練された文章とは会話にあることを痛切に感じさせられた小説であった。そして、物語の展開が実にいい。正義、自由、そんな思想の筋が一本通っていることも清々しい。それでいて勧善懲悪ではない。見えない手に怯える、あるいはやくざの脅かしに怯える。そんな流れが盛り上がってくるが、結局はそこにいるのは人間なのである。夜の恐怖が朝になると霧散するように、そんな恐怖も人間の登場で、霧散するのである。こういう内容の小説だから準古典なのかもしれない。そして、純文学に近いのかもしれない。この人の小説をもっと読んでみたくなった。

私がこの小説を読み始めた日、Oさんと二人で、神楽坂で飲んだ。そして、そのことが話題になり、久しぶりに50件近くあると言う神楽坂のバーの一件に入り、「ギムレット」を飲んだ。私は、若いころ、カクテルと言えば馬鹿の一つ覚えで「ギムレット」だった。あの味とは少し違ったが、やはり懐かしい味であった。小説を肴に酒を飲む。これも実に楽しいものである。