レイモンドチャンドラー、村上春樹訳「ロンググッドバイ」


「魔の山」が終わった直後、我が社の監査役Oさんから借りたこの小説を読んだ。これほど物語の展開が面白い本は久しぶりであった。訳者の村上春樹はあとがきで「この小説を何度も何度も読んだ。その理由としては、第一に文章のうまさがあげられるだろう。最初に読んだ時、その普通でない上手さにこんなものがありなのかと思った」と言う。確かに上手いと思う。但し、私は彼の訳で読んでいてそう感じたので、彼の訳も素晴らしかったとも言える。

「ギムレットを飲むにはまだ早すぎるね」は有名な名台詞。この小説のポイントポイントにギムレットが出てくる。しかしこの台詞は、あっと驚くどんでん返しの場面が落ち着いたところで発せられる。何とも味わい深い台詞である。

この小説は、単なる大衆小説ではない。村上春樹は準古典小説と言う言い方をしている。まさに言い得て妙である。まずは登場する人間が生き生きとしている。その意味は、個性のある人々が実に粋な会話を繰り広げいく。洗練された文章とは会話にあることを痛切に感じさせられた小説であった。そして、物語の展開が実にいい。正義、自由、そんな思想の筋が一本通っていることも清々しい。それでいて勧善懲悪ではない。見えない手に怯える、あるいはやくざの脅かしに怯える。そんな流れが盛り上がってくるが、結局はそこにいるのは人間なのである。夜の恐怖が朝になると霧散するように、そんな恐怖も人間の登場で、霧散するのである。こういう内容の小説だから準古典なのかもしれない。そして、純文学に近いのかもしれない。この人の小説をもっと読んでみたくなった。

私がこの小説を読み始めた日、Oさんと二人で、神楽坂で飲んだ。そして、そのことが話題になり、久しぶりに50件近くあると言う神楽坂のバーの一件に入り、「ギムレット」を飲んだ。私は、若いころ、カクテルと言えば馬鹿の一つ覚えで「ギムレット」だった。あの味とは少し違ったが、やはり懐かしい味であった。小説を肴に酒を飲む。これも実に楽しいものである。